学校概要

今から約60年前、大垣南高校は現在の大垣東高の場所、
大垣市美和町に誕生しました。
大垣市内では当時、普通科の学校は大垣北高と大垣南高の2校しか無かったため、
当時としては、県内でも5本の指に入る進学校でした。

ただし通学地域旧国道21号で南北に分けられ、北は北高、南は南高と、
自分の意図する高校を選ぶ事はできず、
伝統ある
大垣中学の歴史は南高ではなく、大垣北高へと受け継がれ
30年前には南高にとって最大のピンチである、
市街地より大垣市の最南端への
田んぼのど真ん中、浅中への移転
そして
南高跡地には大垣東高が出来
そしてまた
行きたい高校へ入れない不合理な学校群制度があり、

様々な紆余曲折を経て今日の大垣南高校があります。

大垣中学の伝統を受け継げなかった事、そして郊外への移転等を経て、
現在では学力の面としては、開学時に全く及ばないものとなってしまいましたが、
最近では徐々に学校群時代のレベルにまでは復活してきているようです。

それではここから、
南高生の気質について書いていきたいと思います。

前述した通り、田んぼのど真ん中にある自由な校風からか、
のんびりマイペースで、追い込まれないとやらない人の集まりです。
根は真面目なので、追い込まれればやるのですが、
何をするにも
火がつくのが遅いようです。

受験勉強も高3の夏から始める人がほとんどで、
意識の高い子だけが早くから始めます。

南高の野球部も、 自分から先に攻めていくことは少ない。
相手に抜かけても抜かけても粘り強く追いかけていく。
相手に点を取られたら焦って点を取り返す
結局は
火がつくのが遅いんですね。自主的に攻撃を仕掛けていくのが上手くない。
南高生は本当に、
切羽詰って初めて本気を出すタイプのようです。

男子は、シャイで大人しい子が多い。見た目は純朴な子が多いようです。
スポーツ系の部活に入っている子が一部活発で目立っているように見受けられます。

女子はさまざまです。大人しい子も居れば、今時の子も居る。
どこの学校でも同じなのでしょうが、南高の女子はしっかり者が多いと言われます。

南高は女子の多い学校だという事が昔から言われているけれど、
そんな事はありません。男女比率は同じです。

男子と女子の交流は少ないです。男女の数は同じはずなのですが、
それは男子がシャイであるからでしょうね。

そして、南高生は無難である。
この一言に尽きると思います。
無理な事はしない、良くない事もしない、
上を目指す者も少ない、しかし軽いプライドもあって下にもいきたくない
まぁ
そこそこ頑張っていれば良いだろう。
今までも少々の努力でそこそこやってきたから、
これからもそこそこの努力でそこそこの結果がついてこれば人生は満足だ。
もう少し頑張ったらもう少し自分はできるのはわかってる。
だけど面倒臭いから、この辺りでいいだろう。
これが南高生気質です。

南高生はいつも何事にも無難にそこそこ頑張っている人たちです。
先生方に言われるのは、マイペースでそこそこ頑張り屋
しかし元気が無い、覇気が無い。
やる気を出してもっと上を目指していく気力があれば、
スポーツ面でも学力面でも上を目指していけるのでしょう。
これは南高生の一つの課題でもあるのですが、
自分もまたそうであったがために、これが南高生だと言えば、
そうだなぁと納得してしまうものです。

以下はwikipediaより引用しました。
ご参考までに。

 

  • 創立 1949年(昭和24年)
  • 学科 全日制普通科
  • 所在地 大垣市浅中2-69
  • 制服 (冬服) 男子は詰襟の学生服、女子は濃紺のセーラー服 (夏服) 男女共に白色のカッターシャツもしくは開襟シャツ
  • 校訓
    • 謂ふ勿れ、今日学ばずとも來日有り。と朱子『勧学文』の一節)
  • その他の建学精神、モットー
    • 図南鵬翼荘子
    • 堅実真摯(初代学校長の愛した言葉)
    • 文・武・芸 三道三立
いずれも、現在でもさまざまな場面でよく使われる言葉である。歴史と伝統を大切にし、落ち着いた大らかな雰囲気から自由な校風と形容されることが多い。また比較的に堅実で粘り強く諸活動を行う気風がある。それは、極端に偏ることなく様々な分野で垣間見ることができる。

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